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船鉾の歴史
船鉾の創建は文献によると、応仁乱前の嘉吉元(1441)年八坂神社所蔵の「祇園社記第十五」に祇園会ほこの次第として七日の前祭の分に「しんくくわうくうの舟」として記されています。
十六世紀(1700年代)の洛中洛外図屏風(上杉本)に描かれている船鉾には帆柱が立っていました。宝暦七年の帆柱廃止まで船鉾には帆柱がありました。
船鉾のご神体、神功皇后がつけるご神面を能面研究の第一人者である中村保雄氏の研究発表によりますと、船鉾の神功皇后のご神面には二つの墨書の花押が認められており、歴史家林屋辰三郎氏の調査により「八坂神社文書」にみえる文安年間(1444~49)の社人のものと判明しました。
また、古来安産に奇瑞(きずい)があるといわれる皇后の神面は宮中でも尊敬され参内しています。
代表例を上げますと、
- 宝暦八年 (1758) 六月十一日 恭礼門院藤原富子(英仁親王(後桃園天皇)御誕生)菊のご紋章をあしらった黒漆塗りの文庫を下賜され現存
- 弘化三年 (1846) 閏五月十日 前新典侍局(姫宮(和宮親子内親王)御誕生)
- 嘉永五年 (1852) 九月二十二日 権典侍局(禰宮-明治天皇御誕生)
- 昭和八年 (1933) 十二月二十三日 今上天皇御誕生時には、八坂神社にてご神面を奉じました。
- 明応五年 (1496) 応仁乱後再興
- 宝暦七年 (1757) 帆柱を廃止
- 天明八年 (1788) 一月三十日天明の大火 巡行に不参加
- 寛政四年 (1792) 船鉾復興
- 元治元年 (1864) 禁門の変のどんどん焼けにて車四枚焼失 翌年より巡行に不参加
- 明治二十二年(1889) 南観音山の車を借りて巡行に参加
- 明治二十五年(1892) 車を新調
- 昭和十八年 (1943) 本年より山鉾建を中止
- 昭和二十三年(1948) 北観音山、船鉾を十七日四条寺町迄往復曳行。但し船鉾は進駐軍に遠慮して人形を載せず二十四日まで建て置く。
- 昭和二十五年(1950) 前祭は長刀鉾、山伏山、白楽天山、函谷鉾、霰天神山、郭巨山、月鉾、占出山、船鉾を四条寺町迄往復曳行。
- 昭和三十一年(1956) 前祭巡行を四条寺町南下、松原通西進が四条寺町北上、御池通西進に変更
- 昭和三十六年(1961) 前祭巡行を四条寺町北上から河原町北上に変更
- 昭和三十七年(1962) 阪急地下鉄工事の為前後祭共巡行中止
- 昭和三十九年(1964) 十月一日より一ヶ月船鉾、橋弁慶山を岡崎美術館中央ホールに展示
- 昭和四十一年(1966) 本年より後祭の山鉾も十七日に合同巡行
- 昭和四十六年(1971) 船鉾屋根修理
- 平成十九年 (2007) 車輪二車新調
- 平成二十年 (2008) 車輪二車新調、車軸二本新調、下水引東側二枚修理
- 平成二十一年(2009) 下水引西側二枚修理
- 平成二十二年(2010) 下水引正面修理、水引紋幕新調、水引紋幕吊り紐新調、曳綱新調
- 平成二十三年(2011) 神功皇后衣裳一式新調、土蔵改修
- 平成二十四年(2012) 土蔵改修完成
- 平成二十五年(2013) 二番水引新調
- 平成二十六年(2014) 二番水引新調完成
参考文献
- 神道史研究 第40巻 第4号 抜刷「祇園会と能謡と仮面」著者:中村保雄 発行:神道史学会
- 祇園祭細見(山鉾編)昭和52年発行 著者:松田 元 発行所:郷土行事の会
- 八坂神社<改訂新版> 1997年7月10日発行 編者:八坂神社 発行者:鶴岡一郎 発行所:(株)学生社
- 改訂 近代祇園祭山鉾巡行史 昭和49年6月20日発行 発行人:祇園祭山鉾連合会 田中常雄
- 祇園祭-戦後のあゆみ 昭和42年3月1日発行 発行:京都市文化観光局文化課
- 京都市文化財ブックス第25集 「写真でたどる祇園祭山鉾行事の近代」 附第28回京都市指定・登録文化財
- 平成23年3月31日発行 編集発行:京都市文化市民局文化芸術都市推進室文化財保護課
- 京都市自治百周年記念特別展 「祇園祭の美 祭を支えた人と技」 平成10年発行
- 編集・発行:京都市自治百周年記念特別展 「祇園祭の美 祭を支えた人と技」実行委員会