船鉾のご神体
神功皇后
神功皇后は第十四代仲哀天皇の后であります。
外征の会議中に天皇が急死された為、皇后は後に応神天皇となられる皇子を妊(みごも)り既に産み月であったにもかかわらず、凱旋するまで産まないことを誓って喪を秘し、男装して出征されました。無事凱旋の後、筑紫へ戻ってようやくお産をされました。この故をもって神功皇后は安産の神として信仰されるようになりました。古来安産に奇瑞(きずい)があるといわれる皇后の神面は宮中でも尊敬され、明治天皇の御誕生の時には宮中へ参内しています。
七月一七日の山鉾巡行時には皇后のご神体に、妊婦さんから申込のあった御腹帯をたくさん巻いて巡行し、それを祭りの後、妊婦さんに安産の御守りとして授与しています。
また、長年着用していたご神体の裂を安産の御守りとして授与しています。
住吉明神
神功皇后を助ける副将。
神功皇后の長征に際し、住吉明神は福岡の住吉に出現し給い、その和魂(にぎみたま)は皇后を守護し、荒魂(あらたま)は先鋒を導き給うたとされる。
海上安全往来守護の神として崇められている。
鹿島明神
船鉾の舵取り役。
鹿島明神は知勇兼備の神様です。
船鉾の鹿島明神は、神功皇后の真後ろに立たれます。
黒髪を長く数束に分けて垂れ、黒の立烏帽子に白く鉢巻を締め、端正で威厳のある鬚髯(ほほひげあごひげ)の武人で、紺地金襴万字崩し獣文の大袖、白綾大口袴、紺糸縅の鎧という地味な着付けは、住吉明神と対照的です。
右手には津軽塗の軍配、左手には長刀を持っています。この長刀には寛文四年(1664)の作で、摂津の井上和泉守真海の銘が見えます。
龍神・安曇磯良
船鉾の水先案内人。
手に持つ朱塗りの台に潮満瓊・潮干瓊の宝珠をのせて捧持している。この玉は俗に満珠干珠といい、これを海に浸す事により海流を自由に出来るという海神の宝器である。
これを用いて皇后の長征を安全に導いたとされます